笠井信輔さんの著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』を読みました
2020年11月20日に発刊された、笠井信輔さんの著書、『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』を読みました。
「めざましテレビ」の放送で、笠井信輔さんの『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』が発売されることを知りました。発売日に行きつけの書店に行きましたが、店頭に無かったのでAmazonで購入しました。
この本では、笠井さんが「悪性リンパ種」という血液のがんを発症し、「ステージⅣ」から「完全寛解」までの闘病記が書かれていますが、それはまさに、笠井さんの生き様そのものだと思います。
フリーになったアナウンサーががん(癌)になったというと、真っ先に思い出すのは、逸見政孝さんです。がん公表の会見からわずか3ヶ月で、48歳の若さで亡くなられました。衝撃的な出来事でしたので、笠井さんががんだと知ったときは、やはり余命わずかなのかと思ってしまいました。
本では、抗がん剤治療の様子が詳細に書かれています。副作用については、吐き気はどうなのか❓倦怠感はどうなのか❓髪の毛はどう抜けるのか❓などがよく分かります。特に、髪が抜けていく様子を日々写真に撮っていて、その写真も掲載されています。また、毎日Instagramにアップしていたという入院中に着ていた「面白Tシャツ」の写真も掲載されています。抗がん剤治療をクスッと笑えるネタに変えてしまうところは、さすがだなぁと思いました😆
実際、抗がん剤治療ってどうなのか❓と思ってしまうのですが、抗がん剤のつらさに耐えて、1年くらいで「ステージⅣ」から「完全寛解」になったという話を聞くと、やはり効果があるんだと感じました。
2人に1人はがんになると言われていますから、自分もがんになるかもしれないわけです。もし、抗がん剤治療を受けることになっても、つらさの後には寛解が待っていると思えば、治療のつらさにも耐えることができるのではないか、と思いました。
本の中でも、笠井さん自身が「死生観変わった日」として3つの出来事を書いています。
- 阪神淡路大震災
- 地下鉄サリン事件
- 東日本大震災
笠井さんは、わたしよりも4歳年上ですが、ほぼ同世代ですので、どの出来事も忘れることはできませんし、TVで笠井さんのリポーターとしての姿を見たことも覚えています。
自分が、がんの告知を受けたときに、生きよう❗️闘おう❗️乗り越えよう❗️と思うのか、諦めるのか。自分の死生観が問われます。笠井さんは「頑張れる可能性があるなら、とにかくできるところまで頑張ってみよう」と思ったそうです。
わたしは、もし自分ががんになったら、治療も受けずにさっさと死んだほうが良いと思っていました。「家族にも迷惑をかけるし、さっさと死んだほうが良い」と思っていました。でも、この本を読んで、生き抜くということもすごいことなんだ❗️と思うことができました。
ほんのサブタイトルは「引き算の縁と足し算の縁」です。がんで失った引き算を足し算に変えていくこと、と笠井さんは言っています。わたしもうつ病を15年近く患いましたが、仕事、お金、友人、生きがい…など失ったものは数え切れませんが、多くの当事者や支援者の方との出会い、結婚、障害者福祉の仕事…など得たことも数え切れないくらいあります。まさに、「引き算の縁と足し算の縁」なのです。
笠井さんは「悪性リンパ種」という血液のがんでしたが、わたしの妻のお姉さんは「多発性骨髄腫」という血液のがんで、5年半前に亡くなりました。53歳でした。
最初は腰や足の痛みが治まらず、整形外科医を受診したそうですが、原因が分からないまま痛みが強くなり、「多発性骨髄腫」と分かったときは、もう末期でした。お見舞いに行ったときも、痛い痛いと痛みに耐えていました。義姉は看護師をしていましたが、自分ではがんだと気づけなかったようです。これだけ痛みの症状があり、いくつかの病院を受診したにも関わらず、早い段階で「多発性骨髄腫」に気づく医師がいなかったことはとても悔しい思いです。
笠井さんも初めは「前立腺肥大」だと診断されたそうですが、一向に症状が改善しなかったそうです。原因を調べようと、泌尿器科で下腹部のCTを撮った際に、放射線技師と放射線科医から「骨盤にわずかな影があるから、さらに検査を進めてみよう」と言われ、このCT検査がきっかけで「悪性リンパ腫」だと分かったそうです。後に主治医になった医師から、「早期に骨盤の異常を見つけることができたのが良かった」と言われたそうです。
義姉も整形外科などで行った検査で、誰かが異常に気づいてくれたら、もっと早く治療ができたのではないか❓と思ってしまいます。笠井さんや義姉ががんだったように、患者が訴える “痛み” には、原因疾患が何か必ずあるはずなのです。患者の「身体からの声」に耳を傾ける医師が増えることを願っています。