働くということを、もう一度考える

流行語大賞に感じた、ある種の「潔さ」

 

今年の流行語年間大賞に、高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれました。ワークライフバランスが叫ばれる今の時代、この言葉には「時代に逆行している」といった批判の声もあったようです。しかし、わたしはこの言葉をとてもポジティブに受け取りました。今の日本に、これほどの覚悟を持って「挑む」と宣言できるリーダーがどれだけいるでしょうか。周囲に熱意を感じられるリーダーが少ない中、国民のために全力を注ごうとするその姿に、わたしは純粋に「カッコいい」と感じ、自分も頑張ろうという元気を分けてもらいました。

 

「働きたくない」の裏側にあるもの

 

厚生労働省の調査によると、8割以上の人が「働きたくない」と思った経験があるといいます。確かに「働く=ツラい」と感じる場面は多いものです。わたし自身、20年前にうつ病を患いました。30代後半からの15年間は、働いても長続きせず、転職と退職を繰り返す日々。さらに2009年のリーマンショックの際には、働きたいという意欲があっても求人すらなく、社会から切り離されたような感覚を味わいました。その経験から、わたしは確信を持って言えます。「働くのはツラいかもしれないけれど、働けないのはもっとツラい」のだと。

働けないと、お金の不安が膨らみます。人と会う機会も減ります。社会とつながっている感覚が、少しずつ薄れていきます。「役に立てていない自分」を責める気持ちだけが、心の中に残ってしまうこともありました。まさに「無い無い尽くし」の孤独でした。

 

「仕事」ではなく「為事」として生きる

 

文豪・森鴎外は、仕事を「仕える事」ではなく、自ら為(な)すこととして「為事(しごと)」と書き表したそうです。

本来、働くということは誰かに強制されて仕えるものではなく、自らの意思で価値を生み出していくこと。人は自分の手で何かを成し遂げ、そこに喜びを見出したとき、初めて「生きている実感」を得られるのではないでしょうか。

仕事に追われるのではなく、自らの意思で「為事」に向き合う。 そう考えれば、あの「働いて、働いて……」という言葉も、自己犠牲の強制ではなく「自分の人生を主体的に生き抜く」というポジティブな宣言に聞こえてきます。

 

生涯現役、わたしの「これから」

 

わたしは、あと少しで還暦を迎えます。「もう歳だから」ではなく「今だからこそできること」がある。 私はこれからも、誰かに仕えるだけの仕事ではなく、自ら価値を生み出す「為事」を続けていきたい。生涯現役として、社会と繋がり、誰かの役に立ちながら、自らの命を燃やしていきたいと思っています。

皆さんは今、自分の「しごと」にどんな想いを込めていますか?