弊団体の今後の活動について

多くの皆さんのご協力とご参加により、11月27日に開催いたしました『ガレージとーく』第100回記念イベント|高森信子先生講演会も無事に終了し報告を終えて、やっとゆっくり休めると思っていましたが不幸や災難が続いてしまいました。

既にホームページにてご報告しましたが、昨年の大晦日に弊団体の主力メンバーの青木智子さんが亡くなりました。その後、一昨年の秋から肺がんで闘病中だったわたしの妹の夫(義弟)が、53歳の若さで1月21日に亡くなりました。がんの診断がついたときには肺以外の脳や肝臓などにも転移していました。抗がん剤治療はしてきましたが進行は止められず、11月28日に意識が無くなり、近親者の面会が許可され、わたしも2日間会いに行きました。そのときはちゃんと会話もできましたが、わたしが話したのはそれが最後になってしまいました。続いて2月1日にはその義弟の母が亡くなりました。わたしの母と同じ82歳でした。

わたしは1月11日にPCR検査で陽性になりました。母は1月12日にみなし陽性になりました。妻は1月15日に自宅の抗原検査キットで陽性になりました。

母は認知症で要介護1ですが、自立歩行が困難で家の中も伝い歩きしかできません。コロナに感染し関節痛があったのか、1月12日早朝に床にうつ伏せで倒れていました。慌てて抱き起こそうとした際に、わたしは腰を痛めたようです。母には紙オムツをはかせましたが、何度も「オムツをしているからトイレに行かなくても大丈夫だよ」と話しても、絶対にオムツではせず自分で起きていこうとしました。そのため毎晩床や畳に倒れているのを何度もわたしが抱き起こし更に腰痛が悪化しました。

母は一時救急車を呼ぶことも考えましたが、発症から4日目くらいには症状も治りました。しかし、今度は認知症の症状なのか、せん妄がひどくなりました。日中はずっと寝ているのですが、深夜2時ころになると不穏行動が出ました。わたしは動けないので妻が面倒をみていましたが、1月22日の夜からは妻も翌日から仕事があるので、二人で「もうどうなっても仕方ない」と言い放置していました。それでも母は生命力が強いのでしょうか。元の認知症に戻ってしまいましたが、今はわたしよりも元気です。

わたしはコロナで発熱したのと同時にかなりの腰痛がありましたが、平熱になっても腰痛は治りません。しばらくは鎮痛剤と湿布とコルセットで様子をみました。コロナに感染したため整形外科を受診することもできず、療養期間が終わる頃にゆっくりなら歩くことはできるようになりました。CT検査をしたところ、痛みの原因は第1腰椎の圧迫骨折だと言われました。義肢を製作する業者の人に、わたし用にコルセットの型取りをしてくれました。昨日から装着していますがプラスチックのため、コルセットをするとかなり動きが制限されてしまい、かえって生活しづらいです。

第1腰椎圧迫骨折 第1腰椎圧迫骨折

わたしは55歳ですが、この年齢では圧迫骨折にはならないと言われ、骨密度の検査を受けましたが、明らかに骨粗鬆症でした。母は数年前から骨粗鬆症の診断を受け、半年に一度注射を打ち、毎日薬を服薬していますが、数値は少しずつ改善しています。母の心配はしていましたが、自分の骨粗鬆症の心配は全くしていませんでした。日光に浴びる時間が少ないと骨粗鬆症になりやすいとDr.に言われました。思えば37歳でうつ病になり引きこもり状態でしたし、その後は夜勤オンリーの生活でしたらから、その影響もあったのかもしれません。甲状腺などの免疫疾患があり、ステロイド剤の影響もあったのかもしれません。

まずは安静が一番のようですが、妻は有給休暇は山のようにありますが、コロナで1週間ほど休んだだけで上司に嫌味を言われ精神的に参っています。家事も母の介護もわたしがしないといけない状況で、どうしても無理をしないといけません。と思いつつも、ケアマネジャー、地域包括支援センター、かかりつけ医などとのやり取りが続きゆっくり休めていません。

友人、義弟その母、亡くなった方の葬儀は腰痛で参加することができませんでした。今回、支援者やかかりつけ医に助けて欲しいと訴えましたが、コロナに感染したためすべて断られました。最後は「救急車を呼んでください」でした。医療と福祉の非情さを痛感しました。クリニックの看護師や訪問看護師からは、「もっと大変な状況の所はたくさんある」と言われました。励ましたつもりかもしれませんが、さらに落ち込みました。

2月10日に池田町職員労働組合学習会にて、職員のメンタルヘルスについての講師を務めることになりました。ようやく少し歩けるようになった状態なので、本来ならお断りすべきかと思います。しかし、先が見えない中で生きる目標があることは何よりも励みになると思い、わたしから開催をお願いしました。当日の天候によってはオンラインの可能性もありますが、頑張りたいと思います。

12月から現在も『ガレージとーく』の参加希望やうつ病や治療についての相談がありますが、すぐにお返事ができず申し訳ありません。今後の活動について、わたしは解散を考えました。周りからは「1年でも2年でも休会して、またその時が来たら始めれば良い」と言われていますが、このまま思うように動けない状態が続いたら…と思うと絶望感しかありません。それでも「一陽来復」になると信じて生きていくしかありません。

一陽来復

今勤務しているパートもこんな身体では無理だと思い、退職の意志は伝えました。生きていくためにはお金を稼がないといけませんので、在宅でできる仕事を探して受けていきたいと思っています。何か任せていただける仕事があればお声がけください。

弊団体の今後の活動については、うつ病、ベンゾ系薬剤、学校メンタルヘルスリテラシーなどについての講演のご依頼はぜひお受けしたいと思います。ホームページでは記事の更新は続けていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

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